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和歌山地方裁判所 平成4年(ワ)458号 判決

呼称

原告(甲、乙事件)

氏名又は名称

株式会社東洋精米機製作所(以下「原告会社」という。)

住所又は居所

和歌山県和歌山市黒田一二番地

代理人弁護士

藤田邦彦(甲事件)

代理人弁護士

福田泰明(乙事件)

代理人弁護士

松本雅博(乙事件)

呼称

原告(乙事件)

氏名又は名称

財団法人雑賀技術研究所(以下「原告財団」という。)

住所又は居所

和歌山県和歌山市黒田七五番地の二

代理人弁護士

福田泰明

代理人弁護士

松本雅博

呼称

被告(甲、乙事件)

氏名又は名称

井村覺(以下「被告井村」という。)

住所又は居所

和歌山県和歌山市井辺二五五番地の九

呼称

被告(甲事件)

氏名又は名称

株式会社クリキ(以下「被告会社」という。)

住所又は居所

和歌山県和歌山市新留丁九七番地

代理人弁護士

山口修

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、甲事件につき生じたものは原告会社の、乙事件につき生じたものは原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  甲事件

1  被告会社は、別紙イ号目録記載の無洗米製造装置を製造・販売並びに使用してはならない。

2  被告らは原告会社に対し、各自一八〇〇万円及びこれに対する平成四年九月一九日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

原告らと被告井村との間で、原告らが別紙出願目録記載の発明につき、特許を受ける権利を有することを確認する。

第二  事案の概要

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告ら

原告会社は、主として各種精米機の製造・販売を業とする株式会社であり、原告財団は原告会社と業務上の関係の深い財団法人である。

(二) 被告ら

被告井村は、昭和五六年四月、原告財団の理事に、昭和六〇年一一月に理事長にそれぞれ就任し、平成元年八月に理事長を辞任し、原告財団を退職した。

被告井村は、原告財団を退職後、平成四年五月一八日に、主として無洗米の製造装置の製造・販売を業とする被告会社を設立し、その代表取締役に就任した。

2  原告の営業秘密

雑賀慶二は、昭和五三年一〇月ころまでの間に、画期的な無洗米の製造方法及び装置を発明し、その後もその改良を加えた結果、昭和五五年四月ころ、別紙計画書(甲事件において提出された甲四七(甲六九))に記載のとおりの無洗米の製造方法及び製造装置を発明した。

原告らは、雑賀慶二から、その発明の特許を受ける権利を譲り受けた。

しかし、原告らは慎重を期し、右発明を特許出願もせず営業秘密としていた。

(以下、別紙計画書に記載の無洗米の製造方法及び製造装置の発明を「本件営業秘密」という。)

3  被告井村の本件営業秘密の知得

被告井村は、原告財団に在職中、その職務に関連して本件営業秘密を知った。

4  被告らの本件営業秘密の使用

被告会社は、被告井村と共謀し、本件営業秘密を使用して、被告井村が原告財団を退職後、別紙イ号目録記載の無洗米製造装置(以下「イ号装置」という。)を製造販売している。

5  原告会社の損害

被告らは、平成四年五月一八日から平成七年一一月一五日までの間に、少なくとも三一台以上のイ号装置を製造し、これを総額二億九四五〇万円で販売し、少なくともその販売額の五〇パーセントに当たる一億四七二五万円の利益を得た。

被告らの右行為により、原告会社は、我が国における無洗米のパイオニアとしての名誉を侵害され、営業上の信用も段損された。その無形の損害額は一〇〇〇万円を下らない。

原告は被告らに対し、右損害額合計一億五七二五万円の内金一八〇〇万円の支払を求める。

6(一)  被告井村は、右3のとおり、知得した本件営業秘密に基づき、平成四年一月一七日、別紙出願目録記載の特許(以下「本件特許」という。)を出願した。

(二)  しかし、本件特許の真の発明者は、雑賀慶二であり、本件特許を受ける権利は、これを譲り受けた原告らにある。

二  前提事実

請求原因1の事実、同4の事実のうち、被告会社において、被告井村が原告財団を退職後、イ号装置を製造販売していること、同6(一)の事実のうち、被告井村が本件特許の出願をしたことは当事者間に争いがない。

また、弁論の全趣旨によれば、被告会社の製造しているイ号装置、被告井村が出願した本件特許の製造装置は、別紙計画書に記載されている製造装置(本件営業秘密)と殆ど同一であることが認められる。

三  争点

原告らが本件営業秘密を有していたかどうか。

第三  争点に対する判断

当裁判所は、原告らが本件営業秘密を有していたことを認めるに足りる証拠はなく、原告らの請求はその余の点を判断するまでもなく、理由がないと判断する。その理由は次のとおりである。

なお、以下の書証番号の記載は、いずれも甲事件のそれを指す。

一  原告らが本件営業秘密を有していた点についての証拠として、次の各証拠が存在する。

1  原告会社代表者の供述内容の要旨は次のとおりである。

昭和五一年ころから、無洗米製造装置につき、研究を始め、昭和五三年ころには実験的な機械ができあがっていた。当時その機械を販売するにはいろいろ問題があったので、すぐには発売せずに、秘密技術という形で保存していた。

技術内容が外部に漏れないように細心の注意を払った。試作品については原告会社の工場内に一角を仕切って誰もが入れない場所に厳重に保管していた。また関連する書類についても、当時原告財団の理事長は私、原告会社の代表者は兄の雑賀和男であったが、両名ともその営業秘密が記載された書面等は自宅へ持ち帰っていた。

そして、昭和五三年一〇月四日、原告会社と原告財団との間で、「瞬間精米機及び無洗米の完成は、本日までの原告財団(雑賀慶二)の新技術の創造と原告会社の実務的な実験研究の成果であることを確認し、将来収得すべき両製品に関する特許権は原告らの共有とする。また、原告会社が実施権を占有する。」との内容の覚書(甲四四の2)を交わした。また、同月一一日、後日特許法に基づく通常実施権の存在を主張しなければならないことを考慮して、製作図面四通の添付された書面(甲四五)について公証人役場において同日付けの確定日付を取得した。

その後、最初の試作品につき改良を加え、第二あるいは第三試作品ができあがり、その装置の内容等を記載した別紙計画書に、昭和五五年四月一九日付の公証人役場の確定日付を取得した。

昭和五六年、被告井村が原告財団の理事に就任した際には、本件計画書の実物たる試作品を示して説明し、遠心分離機については改良したい点などを述べて、無洗米製造装置の改良を依頼した。

原告らが、無洗米ないし無洗米製造装置を売り出したのは、平成三年七月六日に、原告会社の関連会社のトーヨー食品で出したのが最初である。別紙計画書から一〇年以上経過しているが、それは、結局原告会社が別紙計画書の装置を企業化するだけの体力がなかったし、その前提たる社会情勢でもなかったからである。なお、右の無洗米製造装置は、別紙計画書の様に水洗方式ではなく、糠で糠をとる方式である。

2  別紙計画書(甲四七(甲六九))が存在し、その書面には、公証人名義の昭和五五年四月一九日付の確定日付が付されている。

3  別紙計画書の左欄は肉筆、右欄はコピー機により複写されたものであり、公証人の確定日付は左欄の下端に押捺されているものである。これに関し、被告は、右確定日付は偽造されたものかあるいは右欄が余白の時に押捺され、その後に、右欄がコピー機により複写された旨主張している。

この点に関し、右欄がコピー機により複写された後、右確定日付が押捺されたとする鑑定書等(甲六九、七〇、九〇)が存在する。右鑑定書の根拠は、文字等が複写されていない白紙部分を顕微鏡で見れば、トナーが付着していることが確認できるところ、別紙計画書の確定日付部分にも、トナーの付着が認められ、その付着したトナーのうえに確定日付の朱肉部分が存在するから、別紙計画書の右欄が複写機により複写された後、確定日付印が押捺されたとするものである。

二  しかしながら、次に述べること等に照らせば、右一の各証拠は採用できず、他に原告ら主張の本件営業秘密を認めるに足りる証拠はない。

1  原告らにおいて、昭和五五年当時、無洗米製造装置の試作品が完成していたのであれば、別紙計画書に記載された無洗米製造装置はその完成度は高く、なぜその商品化をしなかったのか、疑問が湧くところである。また、原告が商品化した無洗米の製造方法、製造装置は、本件営業秘密に基づくものではなく、糠で糠をとる方式であり、一〇年以前に既に完成度の高い別紙計画書の製造装置が完成していながら、その改良等を加えその商品化をせずに、なぜ、別の方式の製造装置を商品化したのかも疑問の湧くところである。

また、原告会社代表者は、試作品を厳重に保管していた旨供述するところ、その完成した試作品をどの段階で、いつの時期に、どのような理由で保管をやめたのかも判然としないのも疑問の湧くところである。

2  原告会社代表者は、前記一1のとおり「昭和五六年、被告井村が原告財団の理事に就任した際には、別紙計画書の実物たる試作品を示して説明し、遠心分離機については改良したい点などを述べて、無洗米製造装置の改良を依頼した。」旨供述する。

しかし、証拠(甲五九ないし六六、六八、乙一四の1ないし15、被告井村本人)によれば、被告井村は、原告財団に在職中、無洗米製造装置につき研究し、フリーハンドの図面等を作成し、その一応の成果を原告財団名義で特許出願しようとして、昭和六三年六月中旬から同年七月上旬にかけて、弁理士竹田明弘に対し、その依頼をしたこと、そして、同弁理士は、無洗米の製造装置は原告財団には存在しなかったので、被告井村から、フリーハンドの図面、メモ等による説明を受け、「水洗米及びその製造方法」、「洗米装置」、「水洗米の遠心脱水装置」、「水洗米の噴風脱水装置」、「水洗米用米油添加装置」についての、特許出願のための出願書類(明細書及び図面)の原稿を作成したこと、しかし、その出願は原告会社代表者の意向に従い出願されなかったことが認められるところ、右各証拠によれば、その出願しようとしたものは、別紙計画書の無洗米の製造装置に比べれば、格段に完成度は低く、遠心分離機の中で風を通し(通風遠心脱水)、短時間で水洗、脱水乾燥するという技術思想もなかったことが認められる。

そうすると、原告会社代表者の供述のとおり、被告井村が原告財団の理事に就任した際、無洗米の製造装置を示されて説明を受けていたのにも拘わらず、研究の一応の成果として、それよりも完成度の低いものをわざわざ特許出願しようとしたのかも疑問の湧くところである。

3  証拠(甲五六)によれば、原告会社の昭和六三年七月一六日の役員会において、無洗米及びその実施計画が役員会で承認されたこと、その内容を書面化し昭和六三年九月九日付の公証人役場の確定日付を取得したこと、その書面の冒頭には「この実施計画は、米業界の夢であった米の提供業者にて米を水洗いして、消費者が洗米しなくとも良い米の製法に関するもので、当社が永年の研究の末、水で洗っていながら、亀裂がはいらない(食味が落ちない)米をやっと実現したものであり、以下の通りの方式により実施を行なう。」と、その方式として「精米の前又はその後に水分調整した精米を、速やかに洗米し、脱水し(洗米に約一五秒、脱水乾燥に約二〇秒)、含水率が一五ないし一九パーセントになるように洗い米として仕上げる。現在実験中の装置を長期間運転に耐えるように整備して、上記洗い米を本年末頃より製造販売を始める。」等が記載されている。

そうすると、原告らにおいて、別紙計画書に基づく完成度の高い試作品が昭和五五年当時完成していながら、昭和六三年に至り、無洗米の製造装置がやっと実現できたがまだ実験中でありさらに整備が必要であるとする右文書が作成されたのかも疑問の生じるところであり、また、別紙計画書に基づく試作品が昭和五五年当時完成していたのなら、その後各種の改良も試みられ、八年経過した時点においては、その商品化も容易であるとみられるところ、右実施計画書のとおりの商品化がされなかったのも腑に落ちないところである。

4  別紙計画書(甲四七)は、昭和五五年当時作成されていたのならば、本件にとっては、決定的に重要な書証である。しかるに、それが提出されたのは、平成六年一二月七日の第一六回口頭弁論期日(甲事件)であり、甲事件の提起から二年経過後である。原告らは本件営業秘密が被告らに盗用された旨主張するものであり、原告らの主張を前提とする限り、その盗用されたとする部分については営業秘密は漏洩していたのであり、これをことさら秘匿する必要性は、消滅していたのに、別紙計画書の証拠としての提出が遅れている点も納得できないところである。

さらに、被告出願の無洗米製造装置の公開特許公報(本件特許)(乙二三、そこには別紙計画書の右欄に記載されている製造装置の図と殆ど同一の製造装置の図が記載されている。)が提出されたのは、平成六年一月一二日の第九回口頭弁論期日(甲事件)においてであるところ、その時期から後になり、原告会社は、本件営業秘密の内容を具体的に主張し始め、別紙計画書を提出している。

5  別紙計画書の体裁をみるに、左欄は空白を含んだゆったりとした記載方法であるのに対し、右欄は狭い範囲に大量の情報を無理に書き込んだ体裁となっており、右欄と左欄との間に、文書としての体裁は大きく異なっている。

そして、左欄の文面中には右欄の記載があることを窺わせる記載は全くなく、しかもその左欄の文章の終わりには、「以上」との記載があり、その下部に確定日付印が押捺されているのであり、左欄の記載自体で完結している体裁になっている。

さらに、右欄と左欄の内容を見てみると、左欄の記載は「付着性食品材料でコーティング加工を行い炊飯時に花咲米とならない「洗い米」を得る加工方法」がメインであるかのような記載になっている。これに対し、右欄の記載を見るに、加水加圧撹拌機、遠心分離機、スクリュー羽根、通風乾燥機等の無洗米製造装置の説明が延々と続いた後、コーティングのことは、最後の二行に簡単に記載されているにすぎない。右欄の記載は、コーティングだけでなく、無洗米製造装置につき、当時としては画期的な事項を数多く含んでいるのに、左欄の本文にはこれらにつき全く触れられておらず、その内容自体、左右の欄にアンバランスがある。

さらに、原告会社代表者の供述のとおり、当時試作品が完成していたのであれば、左欄に、端的に試作品の完成したことを記載するのが通常と思われるところ、試作品の完成につき何ら記載せず、その表題につき「当社は目下下記のことを計画して居ります。」と記載した点も疑問の湧くところである。

6  さらに、別紙計画書に記載された無洗米製造装置は、昭和五五年当時としては完成度が高く、その後現在まで長期間経過していることを考え合わせると、原告らの社内において、右の無洗米製造装置が既に試作されていたことの痕跡を示す何らかの文書等が残されていたとしても不思議でないところ、別紙計画書以外、これらの文書は何ら提出されていない(甲四四の2は、別紙計画書の製造装置に比べれば、完成度は低く、これに当たる証拠ということができない。甲四五については、肝腎の添附図面の提出はなく、これに当たる証拠かどうかは定かではない。)ばかりか、逆に、前記2、3のとおり、これと矛盾する事実が存在する。本件にあっては、別紙計画書の無洗米製造装置だけが、他の証拠関係に照らし、浮上っているといっても過言でない。

7  以上述べたとおり、原告会社が本件営業秘密を有していたとするには数々の疑問点が存すること、被告本人の「原告財団を退職後、無洗米製造装置の開発に没頭し、通風遠心脱水の技術を開発し、無洗米製造装置を実用化するまでに開発した。」との供述等に弁論の全趣旨を総合すれば、原告会社代表者において、本件訴訟提起後になって、白紙であった別紙計画書の右欄に、乙二三の公開特許公報を模倣して書き込んだこと、公証人役場の確定日付印については、その印の上にさらに朱肉を上塗りしたり、あるいは元々複写機を通過してあった用紙につき、左欄の記載をして確定日付印を取得した後、右欄を複写する際には左欄を覆っておく等の方法、あるいは、他の書面に押捺されている確定日付印を何らかの方法で転写する等して、前記一3の鑑定結果に沿うようにしたのではないかとの疑い強く、本件全証拠によるも、この疑いを払拭するに足りるだけの証拠はない。

第四  以上の次第で、原告らの請求はいずれも理由がないので、これを棄却し、訴訟費用は主文第二項のとおりの負担とすることとして、この判決をする(平成一〇年五月十三日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 東畑良雄 裁判官 和田真 裁判官 大垣貴靖)

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